杉浦康平氏(1932―)は、わが国のデザイン界の巨匠として世界中から信望を集めるグラフィックデザイナーであり、またアジア図像学研究の第一人者です。杉浦氏がスタッフとともに半世紀以上にわたって手がけた数千点に及ぶブックデザイン作品やポスター作品、思考や制作の過程を辿るデザインプロセス資料、杉浦氏のデザイン哲学やアジア図像学研究の源泉たる旧蔵書まで、杉浦グラフィズムを網羅する「杉浦康平デザインアーカイブ」は、グラフィックデザイン史上における傑出した作品としての評価のみならず、戦後日本の印刷文化の発展を実証する貴重な原資料でもあります。
「杉浦康平デザインアーカイブ」は、2009年に杉浦氏のデザイン事務所である杉浦康平プラスアイズより武蔵野美術大学 美術館・図書館へ寄贈され、以来、美術デザイン教育に寄与してきました。また、2011年に開催したブックデザイン作品を回顧する展覧会「杉浦康平・脈動する本:デザインの手法と哲学」(武蔵野美術大学美術館、2011年10月21日―12月17日)は、杉浦氏自ら監修と展示構成を手がけ、杉浦グラフィズムの世界を顕現した〈作品〉として結実しました。
そして、2021年6月。創作活動65年の節目に、緻密で難解な杉浦グラフィズムをわかりやすく紐解く「デザイン・コスモス」を公開します。宇宙空間に浮遊する杉浦作品の世界を、自由に探索し、動かし、選択し、驚き、遊び、学び、楽しむことができるこのウェブサイトは、杉浦氏による監修、構成、セレクションの「ヴィジュアル作品集」です。第一弾として公開するのは、杉浦氏が厳選したブックデザイン作品186点。〔全集・シリーズ〕67点、〔単行書〕62点、〔美術書・写真集・事典・辞書〕57点に分類しました。
杉浦氏がデザインした美術書や写真集の多くは、高い専門性をもち、工夫を凝らした造本で少部数刊行されました。美術館や図書館に美術作品として収蔵・展示され、その美しさは鑑賞者に感動を与えてきました。一方、全集・シリーズや単行書、事典、辞書は一般書籍として流通し、独創的なアイデアが装われた本たちは書店棚で異彩を放ち、人々に新鮮な驚きをもたらすとともに、新しい装本文化の誕生を告げるものとなりました。刊行から時を経た現在、読者の眼に触れる機会が限られた本たちを、実際に手に取って視るような疑似的体験を可能にするために、ユーザーが自由に操作できるインタラクティブ(双方向相互作用)機能を開発しました。これは、〈紙の集合体としての本の時空〉を意識した杉浦氏のデザイン手法を、三次元空間に託して提示する新しい試みです。さらに、作品を選択(クリック)することでその特徴にアプローチすることができ、杉浦氏をはじめ制作に携わったスタッフや関係者の手による解説テキストから、存在しなかったものを生み出してきた熱気あふれる制作の過程を、臨場感をもって読み解くことができます。また、作品に秘められたデザイン手法を立体的かつ多角的な視点から理解してもらいたいという杉浦氏の配慮により、作品を解体して再構成したヴィジュアル映像も組みこみました。
杉浦氏が探求したブックデザインは、まさに〈宇宙〉の具現化だったといえます。杉浦氏は本について、代表的著書『かたち誕生』で次のように記しています。
三次元的に広がる宇宙空間に燦然と輝く杉浦グラフィズムの世界。いまも新鮮な装幀の魅力、作品に秘められたデザイン手法と奥深い造形思考、印刷技術の限界に挑戦する情熱と先鋭のまなざしを感じとっていただけるはずです。そしてなにより、杉浦氏の画期的なアイデアや実験精神は次世代に受け継がれ、我々の身の回りでさまざまにかたちづくられていることに気づかされることでしょう。
杉浦康平デザインアーカイブ「デザイン・コスモス」
武蔵野美術大学 美術館・図書館 所蔵
Design Cosmos: Sugiura Kohei Design Archive
in the Collection of Musashino Art University Museum & Library
スタッフ・クレジット
杉浦康平+木村真樹+赤崎正一+佐藤篤司+杉浦祥子+新保韻香+平岡佐知子+本岡耕平+村井威史
杉浦康平
村井威史(武蔵野美術大学 美術館・図書館)
村井威史+杉浦祥子
木村真樹
後藤哲成(Fivebit)
本岡耕平(武蔵野美術大学 美術館・図書館)
新保韻香+平岡佐知子
臼田捷治+杉浦康平
臼田捷治+赤崎正一+鈴木一誌+佐藤篤司+村山恒夫+十川治江+田辺澄江+米澤敬+北山理子+新保韻香+杉浦康平
臼田捷治+赤崎正一+佐藤篤司+杉浦祥子+村井威史
臼田捷治
杉浦祥子+村井威史
杉浦康平
杉浦康平
杉浦康平+新保韻香+平岡佐知子
平岡佐知子+栄元正博+新保韻香
新保韻香+赤崎さ千を
村井威史+赤崎さ千を+新保如奈
佐治康生+藤塚光政
A-OTF 秀英初号明朝 Std H、AP-OTF 秀英角ゴシック金 Std B、A-OTF アンチック Std AN R、A-OTF UD新ゴ Pr6N M、A-OTF UD新ゴ Pr6N L(以上、モリサワ)
杉浦康平プラスアイズ
武蔵野美術大学 美術館・図書館
東京都小平市小川町 1-736 〒 187-8505
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当ウェブサイト「デザイン・コスモス」では、杉浦康平氏によるデザイン作品を、ヴィジュアル(作品画像)から選ぶ〈作品インデックス〉と、作品に施されたデザインメソッドから選ぶ〈デザイン手法インデックス〉の、二通りの閲覧モードからアプローチすることができます。 | |
〈ナビゲーションメニュー〉の使い方トップ画面の中央下にある丸いハンバーガーボタンをクリックすると〈ナビゲーションメニュー〉が表示されます。〈ナビゲーションメニュー〉は、〈作品〉からと、〈デザイン手法〉からの、二通りの閲覧モードの切り替えができます。 |
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〈作品インデックス〉作品をヴィジュアル(作品画像)から選択して閲覧するモードです。 |
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雑誌『遊』の場合 |
〔雑誌〕カテゴリの浮遊について4つの作品カテゴリのうち〔雑誌〕に限っては、各雑誌作品のメイン表紙に加え、その巻号表紙も複数浮遊しているケースがあります。巻号表紙はその雑誌タイトルの中からデザイン手法に特徴がある巻号をピックアップしたものです(各巻号の詳細情報ページでは、メインの詳細情報ページでは触れられていないデザイン手法の解説を閲覧することができます)。 |
インフォメーションボタン |
〈作品インデックス〉の操作方法マウス操作で宇宙空間を自由に操作することができます。 マウスプレス(押したまま)の状態で空間を上下左右に自由に操ることができます。 また、マウススクロールで空間視点の操作(ズームイン/ズームアウト)もできます。 浮遊している作品画像の中から目的の画像をクリックすると選択でき、その作品画像 が大きく表示されます。 大きく表示された作品画像の下の方にマウスを合わせると、 |
センターキューブ Circle Space Sphere 空間リセットボール |
〈センターキューブ〉の使い方宇宙空間の中央にある〈センターキューブ〉を操作することで、浮遊スタイルの切り 替えや空間視点のリセットをおこなえます。 浮遊スタイルの切り替え 浮遊空間のリセット |
〈デザイン手法インデックス〉各作品に施された〈デザイン手法〉の切り口から閲覧するモードです。〈デザイン手法〉 は大きく 17 のテーマに分類し、さらに各テーマを細分化して合計 147 の手法が用 意されています。 任意の〈デザイン手法〉を選択することでそのデザイン手法が施 された作品群がリストアップされ、さらに任意の作品を選択するとその詳細情報を閲 覧することができます。 |
背の接着面を補強するために貼り付ける布。
表紙と本文の用紙をつなぐ部分に接着される紙。「効き紙」は表紙側に貼り付ける部分、「遊び」は本文側の貼り付けていない方の部分を指す。
表紙を開いて最初に現れるページ。タイトル、出版者名、著者名などが記される。本文用紙の第1ページを本(文)扉といい、本文用紙とは別の用紙を巻頭に貼り付ける場合を別丁扉もしくは化粧扉という。
★本の部位の中でも「花布」「しおり」「見返し」は、本に彩りを与える役割もある。これは和服の半襟が装飾の目的を持つようになったのと同じように、日本人の美的感覚による我が国独自の造本美といえるものである。
杉浦康平(すぎうら・こうへい、1932年9月8日―)は、日本のグラフィックデザイナー、アジアの図像研究者、神戸芸術工科大学名誉教授、同大学アジアンデザイン研究所(RIAD)顧問。
意識領域のイメージ化で多元的なデザイン宇宙を切り開き、レコードジャケット、ポスター、ブックデザイン、雑誌デザイン、展覧会カタログデザイン、ダイアグラム、切手のデザインなどの第一線で先端的かつ独創的な活躍を展開。また、「マンダラ[出現と消滅]」展や「アジアの宇宙観」展、「花宇宙・生命樹」展など、アジアの伝統文化を展覧会企画・構成および斬新なカタログデザインで紹介するとともに、マンダラや宇宙観を中核とする自らの図像研究の成果を『かたち誕生』(日本放送出版協会、1997年)ほかの幾多の著作をとおして、精力的に追究している。
東京都に生まれる
東京藝術大学建築科卒。高島屋の宣伝部に入ったが、そのとき制作した「LP JACKET」が1956年第6回日宣美賞を受賞し、約半年で独立
東京で開催された「世界デザイン会議」にパネリストとして参加
東京オリンピック(1964年)のシンボルマーク指名コンペ6人の中に選ばれる(亀倉雄策が入選)
東京画廊のカタログデザイン始まる
「音楽会ポスターを中心とする一連のグラフィックデザイン」によって第7回毎日産業デザイン賞(現・毎日デザイン賞)受賞
ドイツ・ウルム造形大学に客員教授として招聘される(64―65年にかけて3ヶ月。66―67年にも1年間招聘される)
ロンドンICAギャラリーで開催された日本現代美術展「蛍光菊」(Florescent Chrysanthemum)の会場構成、アートディレクション
東京造形大学視覚デザイン科で教鞭をとる
第4回造本装幀コンクールで最高賞の文部大臣賞受賞(『日本産魚類脳図譜』築地書館)
第5回造本装幀コンクールで文部大臣賞を連続受賞(『雲根志』築地書館)
第2回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞(『闇のなかの黒い馬』河出書房新社)
第8回造本装幀コンクールで3度目の文部大臣賞受賞(『日夏耿之介全集』河出書房新社)
ユネスコ・東京出版センター(現・ユネスコ・アジア文化センター)から依頼を受け、アジア活字開発調査のため、タイ、インド、インドネシアなどアジア諸国を初めて訪問
NHKの委嘱で、イタリア賞参加映像作品「In Motion」を作曲家・武満徹と共同制作(主演はツトム・ヤマシタ)
第12回造本装幀コンクールで4度目となる文部大臣賞受賞(『教王護国寺蔵 伝真言院両界曼荼羅』平凡社)
パリ装飾美術館で開かれた「間=MA」展にポスター・カタログデザインで参加(企画構成=磯崎新ほか)
「京劇」訪日公演で、斬新なスタイルを取り入れたポスター・カタログをデザイン
高野山大学と毎日新聞社のラダック仏教美術調査・取材隊に同行し、その成果は「マンダラ[出現と消滅]」展の企画構成に結実(西武美術館、毎日新聞社ほか主催)
「熱きアジアの仮面」展(国際交流基金ほか)、インド仮面舞踏「神々の跳梁」などを展示構成・デザイン
「アジアの宇宙観」展(国際交流基金)を企画構成
ブータン王国切手デザインの依頼を受け、同国を取材旅行
文化庁芸術選奨新人賞受賞
ライプツィヒ装幀コンクール特別名誉賞受賞(『教王護国寺蔵 伝真言院両界曼荼羅』)
インドIIT, IDC(インド工科大学産業デザイン研究所)においてデザイン・ワークショップ開催
神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科教授に就任(―2002年)
インド古典音楽「ラーガ・香絃花」コンサートを企画
「ハーモニック・クワイア」コンサートを企画・構成
「花宇宙・生命樹」展企画・構成とカタログデザイン(国際交流基金ほか主催)
毎日芸術賞受賞(毎日新聞社)
紫綬褒章を受章
韓国ソウルでのICOGRADAで講演「手のなかの宇宙」
名古屋でのICOGRADAで講演「宇宙を叩く」
雑誌デザインの集大成「疾風迅雷:杉浦康平の雑誌デザイン半世紀」展開催(東京、ギンザ・グラフィック・ギャラリーほか)とその作品集デザイン(DNPグラフィックデザイン・アーカイブ発行)。「疾風迅雷」展は2005年に韓国のパジュ、2006年に中国の北京、深圳、2007年以降、南京、成都ほか中国各地を巡回
第5回織部賞受賞(岐阜県主催)
高野山大学の委嘱で、5面の大スクリーンによる映像作品「法界宇宙」を制作
「マンダラ発光:杉浦康平のマンダラ造本宇宙」展開催(クリエイティブワールドライブ2007実行委員会、東京国際フォーラム)とその作品集デザイン
第28回中島健蔵賞特別賞受賞(現代音楽への貢献)
中国・北京でのICOGRADAで講演「一即二即多即一」
第7回竹尾賞審査員特別賞(デザイン書籍部門)受賞
神戸芸術工科大学アジアンデザイン(RIAD)所長に就任
神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所第1回国際シンポジウム「動く山・山車——あの世とこの世を結ぶもの」を企画・開催
ブックデザインの集大成「杉浦康平・脈動する本:デザインの手法と哲学」展開催(武蔵野美術大学 美術館•図書館)とその作品集デザイン
神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所第2回国際シンポジウム「送る舟・飾る船:アジア〈舟山車〉の多様性」を企画・開催
『時間のヒダ、空間のシワ・・・[時間地図]の試み:杉浦康平ダイアグラム・コレクション』を刊行(鹿島出版会)
香港デザインセンター(HKDC)功労賞受賞
神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所第3回国際シンポジウム「魂を運ぶ聖獣の山車」を企画・開催
旭日小綬章受章
「諸井誠+黛敏郎+武満徹 電子音楽 ミュージックコンクレート作品集」
「武満徹の作品」1—4
「ピアノ・コスモス:現代日本ピアノ曲1960―1969」(昭和44年度芸術祭参加)
「諸井誠、黛敏郎、武満徹ほか=日本の電子音楽」
「WERGO現代音楽シリーズ」
「西村朗作品集シリーズ」
「ストラヴィンスキー特別演奏会」
「第1回東京現代音楽祭1960」
「第8回東京国際版画ビエンナーレ展」
「間」展
「中国京劇院訪日公演」
「国立歴史民俗博物館開館記念」
「伝統と現代技術:日本のグラフィックデザイナー12人展」
「富山県[立山博物館]開館記念」
「花宇宙・生命樹」
「江差追分」(北海道江差町)
『a+u:建築と都市』(エー・アンド・ユー)
岩田慶治+杉浦康平編『アジアの宇宙観』(講談社)
中川幸夫『魔の山』(求龍堂)
オーディオテクニカ
『都市住宅』(雑誌名ロゴ)
上野動物園
『a+u』(雑誌名ロゴ)
多摩動物公園
八重洲ブックセンター
国立歴史民俗博物館
本多劇場
富山県[立山博物館]
「これが日本の国力だ」(『週刊朝日』)
「どこの都市が住みよいか」時間軸変形地図(『週刊朝日』)
「時間軸地球儀」(『朝日新聞』)
「犬地図」(『遊』6号掲載、工作舎)
『平凡社百科年鑑』ダイアグラム(―78年、平凡社)
「まるくない地球」ジオイド地球儀(『朝日新聞』)
「四大料理の味覚地図」(『週刊朝日百科 世界の食べ物』の「目で見る世界の食文化」)
西ドイツ政府発行「札幌冬季オリンピック」
「ブータン王国記念切手」(捧げもの、仮面舞踊、マンダラ、宗教儀礼楽器の4シリーズ)
世界デザイン博覧会記念切手
「In Motion」武満徹(作曲家)と共同制作(NHKイタリア賞参加作品)
「法界宇宙」高野山大学 松下講堂の5面スクリーン上映のための作品
「ブックデザイン小宇宙」杉浦のブックデザイン紹介のための映像作品群(協力=新保韻香+栄元正博)
「わたしのデザイン探検」全4回(NHK女性手帖)
「かたち誕生」全12回(NHK人間大学)
杉浦康平の活動は1950年代後半に始まる。当時は「商業デザイン」という名称が定着していたように、アドヴァタイジングがデザイン表現の主流だった。それに対して杉浦ら20代後半の新世代は、文化活動を主題にしたヴィジュアルデザインの鉱脈を果敢に掘り起こしたのである。
その旗手としてリーダシップを遺憾なく発揮したのが杉浦であり、わが国の旧弊なデザイン風土に新風を送り込むことになる。膨大な数にのぼるブックデザインと“柔らかい地図”という新機軸を打ち出した「時間軸変形地図」をはじめとするダイアグラム(インフォグラフィックス)がその双璧だ。後者の「地図」の作品群は、ダイアグラムをヴィジュアルコミュニケーション・デザインの一翼を担う存在としてわが国に定着させるうえで重要な布石となった。
杉浦の際だったクリエイティビティのバックグラウンドに、東京藝術大学で建築を学んだことと、少年時からの音楽への格別の関心がある。総合芸術である建築を学んだことは、〈内から〉の三次元的で理知的なデザイン思考をはぐくむことに。また、あのパウル・クレーを彷彿させずにはおかない秀でた音楽的感性は、若手の登竜門であった日宣美展(日本宣伝美術会主催、1956年)でグランプリ「日宣美賞」を受賞した「LP JACKET」をはじめ、「ストラヴィンスキー特別演奏会」、「第1回東京現代音楽祭1960」ほかの音楽関連ポスターおよびレコードジャケットなどに多くの清新な世界を結晶させる。
そして、1960年代中頃の西ドイツ・ウルム造形大学での二度にわたる指導体験を経て、自らの血脈に宿るアジア的美意識を喚起された杉浦は、“表紙は顔である”とする独自の東洋的ともいえるコンセプトにもとづいて、目次や記事内容と響き合う表紙デザインを雑誌で試みる。『SD』『都市住宅』や『季刊銀花』が代表例である。
雑誌に続いて、1970年代より縦組による明朝体活字の美しさを引き出すブックデザインを本格的に展開。くわえて、書物の三次元性を踏まえ、外回りだけの意匠ではなく、本文組を起点とするトータルで理路をきわめる造本設計を進め、同時代デザイナーの指標となる方法論を次々と切り開くとともに、折からの日本社会のブックデザインへの関心の高まりを牽引する。図像とテキスト群を全ページ白抜きで配した『全宇宙誌』や、壮麗な伽藍のような重層的構造をそなえる『伝真言院両界曼荼羅』はその白眉である。
グラフィックデザインの華とされるポスター制作の点数は少なくなるものの、それでも「第8回東京国際版画ビエンナーレ」や「伝統と現代技術:日本のグラフィックデザイナー12人展」など、印刷システムに精通した杉浦ならではといってよい、特異な製版技術を駆使した意欲作を機会あるごとに発表していることは注目される。
上記した音楽的感性は、流動し、転調を繰り返しながらも互いに照応するかたちへの鋭い眼差しへと結びつく。“視知覚の則“を見極めようとする古今東西の各種図像への傾倒、なかんずく1970年代半ば以降に本格化する、マンダラをはじめとするアジアの図像群がはらむイコノロジーへの、破格のスケールをともなう精査探究がそれだ。もとよりウルムで体験した、東洋と西洋の間の価値観の齟齬(そご)への認識と、1972年に始まるインドほかのアジア諸国取材旅行で得た知見の広がりもあずかっており、アジアの宇宙観、知覚論、文字論、ノイズを含む音楽論……へとさらなる深化を遂げてきた。そして近年は「多主語的なアジア」をキーワードとして、思考の新しい道をひらいている。また、「一即二、多即一」という東洋的語法で、自らの造形思考を要約している。欧米の厳密な二進法的世界観とは異なる、数えきれないほどの〈幽かなる存在〉が宇宙の森羅万象を満たしているという固有の根源への洞察である。
このような一連の探究成果は、松岡正剛との共著『ヴィジュアルコミュニケーション』や、自著『日本のかたち・アジアのカタチ』を嚆矢(こうし)として『宇宙を叩く』に至る「万物照応劇場」シリーズ全5冊などの幾多の著作(共著を含む)の、奔流のような刊行へと結実している。
1970年―80年代には、これら著作とともに企画構成した展覧会・公演カタログ、ポスター、関連書には、アジア固有の世界観が、1978年の「京劇」を始めとして、独特の形や色彩、それに伝統的なタイポグラフィの裏付けという類いないデザイン手法を伴って映し出されており、国内外の多くのクリエイターに影響を与え続けている。
同時に、アジアに目を向けた写真家(加藤敬、管洋志ほか)の作品集の編集・構成、展覧会デザインを積極的に行っている。とりわけ、加藤がアジア伝統美術の精華というべき西チベット・ラダック地方のマンダラを撮影した成果である「マンダラ[出現と消滅]」展(1980年、西武美術館、毎日新聞社ほか主催)は、杉浦が現地への調査・取材隊に同行するとともに、同展の企画構成に当たったものであり、格別の反響を呼んだ。同じアジア関連では、国際交流基金とタッグを組んだ企画構成展が、1981年の「熱きアジアの仮面」展ほか幾多にのぼる。
杉浦独自の活動は国際的にも注目され、ヨーロッパを含むグローバルな広がりを見せるようになった。そして、講演や展覧会企画構成をとおしてアジア各地(インド、韓国、台湾、中国ほか)のクリエイターとの密接な交流を深めている。私たちの文化の〈共通する根〉への熱いまなざしは、心あるアジアの精鋭たちの共感を呼び、杉浦は彼らを結び合わす精神的支柱となっていることを銘記したい。
1987年の神戸芸術工科大学開学と同時に、杉浦は同大学視覚情報デザイン学科教授に就任した。1968年に東京造形大学で教鞭をとって以来、約20年ぶりの教育現場への復帰である。注目したいのは、アジアの多様な文化遺産への深い親和を踏まえた指導と並行して、ジャンル間の壁を軽々と越境する識者を招いたレクチャーを行ったこと。その成果は「神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ」として、『円相の芸術工学』から『表象の芸術工学』までの5冊の刊行につながった。たとえば『円相の……』では、杉浦に加えて情報論、禅哲学、文化人類学、東洋思想などの泰斗が登壇するという、デザイン教育の常識を破る並びないスケールの大きさ。こうした開けた指導が実って、現に留学生を含む多くの修了生がアジア各地で独自の文化活動にいそしんでいるのである。
続いて2010年に同大に「アジアンデザイン研究所」(RIAD)を設立し、初代所長に就任。「豊穣なアジアの文化遺産に眼を向け、未来に役立つデザイン語法の探究を、若い人びとを交え推進すること……」を理念に掲げてのスタートだった。その具現を目指し、杉浦は国際シンポジウムを企画し、3度にわたって開催した。自らも参加したシンポジウムの記録集が2冊。『動く山・アジアの山車』と『靈獣が運ぶ・アジアの山車』である。このように、音楽の世界でいうとピアニストと指揮者を兼ねる立場と同じく、自ら多様な視点を創出するとともに、その架け橋となって豊かな沃野への導き手となってきた。教育者としても強烈な熱意を余すことなく発揮してきたのである。
この間、雑誌の仕事を集大成する「疾風迅雷:雑誌デザインの半世紀」展、造本では「脈動する本:デザインの手法と哲学」展を開催。あまたの独創的な手法に彩られ、圧倒的な熱量を誇る作品群は衝撃をもって迎えられた。それぞれの充実した作品集づくりとともに……。杉浦の重要なデザイン・ジャンルである各種ダイアグラム(インフォグラフィックス)も『時間のヒダ、空間のシワ・・・[時間地図]の試み』と『表裏異軆:杉浦康平の両面印刷ポスターとインフォグラフィックス』にまとめられている。さらに、1960年代からの既発表テキストを精選し、多岐にわたるアジアの世界観を表象する豊富な図像を交えて構成する「デザインの言葉」シリーズが、第1弾の『多主語的なアジア』に始まって計4冊の刊行に及んでいる。
近年では太極図を立体化した「太極球」を提示したことを特記したい。陰陽の二元からなり、自然や万物の理の根拠となる古来の太極図は平面だが、「三次元空間に浮上する平面投影ではないか」とする、逆転の発想からの立体への変容に目を見張る。最新の3D技術を援用し、刻々と変幻する太極球は、原初の命を胚胎する、妖しいまでの艶かしさをたたえており、エレガントな冊子『太極球・誕生』(神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所太極球プロジェクトチームほか)として顕現した。
才知を礎とする杉浦の〈動体視力〉の凄み……。発見と創造を繰り返す歩みは揺るぎない。
武蔵野美術大学 美術館・図書館では、グラフィックデザイナー杉浦康平氏(1932―)のデザイン作品、デザインプロセス資料(デザイン設計図、印刷版下、製版フィルム、校正刷りほかデザイン工程を知ることができる資料)、作品掲載誌、デザイン制作に影響を与えた旧蔵書などで構成する「杉浦康平デザインアーカイブ」の公開にあたり、杉浦氏がセレクトされたブックデザイン作品186点をデザイン手法から読み解くインターネット版ヴィジュアル作品集「デザイン・コスモス」を、2021年6月に開設しました。
おかげさまで開設直後より大きな反響があり、デザインを学ぶ方や専門家だけでなく、一般ユーザーからのアクセスも多く、たくさんの貴重なご意見やご教示をいただくことができました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。また、グラフィックデザインの専門誌『アイデア』400号(誠文堂新光社、2022年12月)では、わが国のデザインアーカイブの進行形事例として、16ページにわたり取り上げていただきました。
それらを励みにし、さらなる充実を図るため、開設からちょうど2年にあたる2023年6月、当ウェブサイト「デザイン・コスモス」をリニューアルいたします。
今回のリニューアルでは、杉浦デザインの主核のひとつである「雑誌デザイン」を究明することを主題とします。
杉浦康平氏が事務所スタッフとともに手がけた雑誌デザインは、40誌、およそ2,000冊。建築、哲学、文化、伝統、民俗、教育、科学、アジア文化、政治、そして噂……など、その主題も広範囲に及んでいます。その多くは決まった形にとらわれず、月ごとに手を加えて変化にとんだ(変化しつづける)表紙デザインとなりました。杉浦氏は雑誌デザインについて次のように記しています。
杉浦氏が、雑誌で挑戦し、実現したデザイン手法の数々……
コンピュータのない時代に、烏口やコンパス、定規、円形計算尺、トレーシングペーパー、スタビロの色鉛筆を駆使して手作業で作図。手技と忍耐力の結びつきで生まれでた精緻なデザイン!(→音楽芸術、数学セミナー[第一期])
一度使用したら捨てられていた金属版を再利用し、いくつかの版を組み合わせていくことで、連続性と変化を生みだす。のちに自ら「自己増殖するデザイン」と名付けた、版画的手法のデザイン!(→音楽芸術)
数の魔方陣や等差数列などによる基本パターンを数種類用意し、それぞれを組みあわせる!(→音楽芸術 、数学セミナー[第一期]、デザイン)
写植の約物や印字による手作業のないデザイン。今日のPCデザインの先駆けをなす、「手描きによらぬ」手のこんだデザイン!(→数学セミナー[第一期]、デザイン)
当時の雑誌全般の表紙が〈飾る〉ためのものであったことに疑問をもち、〈内容を表す〉デザイン、〈読みとる〉ことに力点を置くデザインを提案し実現。「表紙は貌(かお)」、内に潜むものが表紙に現れ並びあう!(→SD、都市住宅、パイデイア、季刊「銀花」)
赤と青の、はかない色で刷り重ねられた2枚の図面は、紙の上に指先でつまめるほどの虚構の空間を浮遊させる。ステレオ作図による3D印刷で空間(奥行)を引き寄せる!(→都市住宅)
三原色の重ね刷りで黒色を生みだし、各版に削りを加えて多色刷りの効果を演出!(→遊、エピステーメー[第一期])
表紙の題字(タイトルロゴ)を、定位置に置かず、自由に動かす!(→エピステーメー[第一期]、エピステーメー[第二期]、季刊「銀花」、噂の眞相、DOLMEN)
印刷/製本技術への挑戦。断裁ギリギリに迫るデザイン!(→季刊「銀花」)
背を、内容のインデックスやギャラリーにする!(→デザイン、SD、都市住宅、遊、エピステーメー[第一期]、エピステーメー[第二期]、季刊「銀花」、日本の美学)
これらはほんの一例ですが、いずれもが先駆的な実践です。そして、圧倒的なのは、雑誌デザインの仕事は、ブックデザイン、カタログデザイン、ポスター、LP/LD/CDジャケット、ダイアグラム、アジア図像研究などと、並行した取り組みだったということです。
杉浦康平氏が自身の雑誌デザインを振り返る機会となったのは、2004年に東京・銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で開催された展覧会「疾風迅雷:杉浦康平 雑誌デザインの半世紀」※です。50年以上にわたる雑誌の仕事を展望する場として企画されたこの作品展にあたり、手がけた雑誌デザイン作品をあらためて丁寧に見つめ、雑誌とはなにか、自身のデザイン語法とはなにかを分析/総括されました。そして、主要な34誌を取り上げて、デザイン解説を書き下ろしました(そのテキストは同名の作品集にまとめられました)。この時の振り返りが、当館「杉浦康平デザインアーカイブ」の端緒となっています。
また、会場での作品解説の表示方法として、文章をパネルにして並べるより、動画のほうが感覚的に伝わるだろうとのアイデアから、3Dアニメーションを用いた解説動画の制作にも着手されました。直方体の紙の束である本は、多情報の集積体です。綴じられたページを順番にめくっていくことで内容理解が深まっていき、結論を早く知りたければ瞬間的に目的のページに行きつける。つまり、本は時間と空間を自在に結ぶ変幻自在な多様体といえます。そんな特性をもつ本の作品を解説するには、三次元的な絵解きが効果的です。作品をヴィジュアルに解体することで、鑑賞者はデザインの背後に潜むデザイン手法を直感的に理解することができます。アニメーションを活用することで、紙の感触やページをめくる手触り、ずっしりとした本の重みさえも感じさせる演出が可能です。本の作品展では、広い空間に対して本が小さく見劣りしてしまうため、会場壁面に投影することも想定されていました。3Dアニメーション解説動画は、「疾風迅雷」展の終了後も継続して多数制作され、それらは当ウェブサイト「デザイン・コスモス」でも作品理解を助けるコンテンツとして活用しています。
膨大な作品群から特定作品に感覚的にアクセスすることができる、インタラクティブな検索システムの開発がなされたのも、この作品展でした。文字情報ではなく、作品の書影画像をインデックス化することで、視覚的な作品選択が可能となりました。詳しい情報を持ちあわせていないユーザーでも杉浦グラフィズムの宇宙に容易に飛びこんでいける操作性を備えたこの検索システムは、2004年当時、ひじょうに画期的なものでした。そして、このシステムこそが、当ウェブサイトの設計思想となるものです。
出版当時に保管された貴重な雑誌の現物、ポスター大に出力された雑誌表紙の数々、束(つか)のある雑誌丸ごとを10倍に拡大した立体本、壁面を彩る3Dアニメーション解説映像、作品の書影画像をインデックス化したインタラクティブ検索システム、初期デザインの発想源たるミュジック・セリエルの音像……。それらが渾然一体となり、会場全体があらたなメディアとして表出した「疾風迅雷」展。杉浦氏にとって自身のデザイン語法を振り返る初めての作品展だったこともあり、並々ならぬエネルギーが注がれました。
そのヴァイタリティが、20年の時を経て、「デザイン・コスモス」に再結晶します。
※「疾風迅雷」展は、東京・銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリー[2004年10月5日―10月30日]を皮切りに、大阪[現・京都]のdddギャラリー[2005年1月12日―2月7日]、名古屋の国際デザインセンター[2005年4月22日―5月15日]、福岡アジア美術館[2005年6月16日―9月6日]、韓国・坡州のアジア出版文化情報センター[2005年10月6日―11月6日]、中国・北京の今日美術館[2006年11月6日―11月23日]、深圳の雅昌芸術館[2006年12月4日―12月20日]、南京の鳳凰崇正書院[2007年5月17日―5月27日]、成都の許燎原現代芸術設計博物館[2007年10月13日―10月27日]に巡回しました。
今回のリニューアルでは、作品コンテンツを新規追加するだけのバージョンアップにとどまらず、あっと驚くたのしい仕掛けも施しました。ウェブサイトの顔(トップ画面)さえも「ただならぬ雑」がうごめきざわめく宇宙空間として創生し、様変わりさせています。これは、杉浦康平氏が雑誌デザインと対峙した、造形思考そのものを表象します。
改変ポイントは、以下の通りです。
【作品カテゴリ〔雑誌〕の新設】……作品の書影画像が浮遊する宇宙空間には、既存の作品カテゴリ〔全集・シリーズ〕〔単行書〕〔美術書・写真集・事典・辞典〕に加え、〔雑誌〕を新設する。
【新規追加する雑誌作品の点数】……作品カテゴリ〔雑誌〕では、手がけた雑誌デザイン40誌のうち杉浦氏自身が特に重要と判断された20誌を取り上げる。さらにデザイン手法に特徴がある巻号30点についても独立させて詳述する。つまり、宇宙空間には雑誌メイン表紙20点と巻号30点の計50点の雑誌作品書影画像が浮遊する。
【雑誌宇宙のギミック】……作品カテゴリ〔雑誌〕では、雑誌デザイン作品のメイン表紙20点を〈惑星〉として宇宙空間に浮遊設定する。そのうえで、各タイトルでデザイン手法に特徴ある巻号を〈衛星〉に見立て、惑星であるメイン表紙の周りを公転するというギミックを施す。
【浮遊スタイルのバリエーション】……宇宙空間における作品書影画像の浮遊スタイルのバリエーションを見直し、〈衛星〉の公転軌道がより明確になるCircle〈円形浮遊スタイル〉を新設。これにともない、既存のSphere〈球体浮遊スタイル〉とSpace〈ランダム浮遊スタイル〉もチューンアップする。宇宙空間の中央にある〈センターキューブ〉を操作することで浮遊スタイルを切り替えられる。
【デザイン手法インデックス】……作品カテゴリ〔雑誌〕の新設にともない、〈デザイン手法インデックス〉を全面的に増補改訂。デザイン手法の一覧から、既存のブックデザイン作品と新規追加の雑誌デザイン作品を横断する探索をたのしむことができる。
【遷移ボタンのデザインを刷新】……各作品の詳細情報ページへ遷移する際に押下する〈インフォメーションボタン〉のデザインを刷新。杉浦グラフィズムのテイストを盛り込んだ新デザインにより、ウェブサイト全体が一貫性のあるデザイン体験となる!
【作品情報】……作品の書誌事項は、当館「杉浦康平デザインアーカイブ」所収の作品現物にあたる調査により厳密に記述。なお、各誌の刊行期間は杉浦氏がデザイン担当した期間を記す。
【作品解説】……新規追加する雑誌デザイン各作品に付与する解説は、杉浦氏が作品集『疾風迅雷』をベースにして大幅な加筆修正をおこなった、当ウェブサイトでしか読めないオリジナルテキスト。
【作品ギャラリー】……雑誌デザイン各作品の詳細情報ページには、当該誌の巻次表紙画像を可能な限りふんだんに掲出。高精細な書影画像が織りなす、杉浦雑誌デザインをめぐるギャラリー・ツアー。
【解説動画】……既存のブックデザイン作品と同様に、雑誌デザイン作品にまつわる解説動画を掲出。立体的に展開される3Dアニメーションにより、あたかも現物を手にとっているかのように、作品に秘められたデザイン手法を直感的に理解することができる。
【寄稿】……デザイン評論家臼田捷治氏が当ウェブサイトのリニューアルのために書き下ろしたエッセイ「雑誌デザインの座標軸を多元的に指し示す」を収録。
【Loading画面】……読み込み時のLoading画面は、杉浦ブックデザインを象徴する『脈動する本』アイコンが回転するムービーから、雑誌デザインを象徴する『疾風迅雷』アイコンを掛けあわせた新作ムービーに差し替え。
杉浦康平氏は、半世紀以上にわたり、雑誌デザインの可能性を探求し続けてきました。印刷技術や資材の発展進化とも相まって、雑誌編集における〈思い込み〉や〈当たり前〉をも刷新したのです。雑誌はデザイナーだけで作り上げられるものではありません。知的好奇心と冒険心旺盛、変革意識のある編集者たちの理解と支援、ともにえがいた夢の数々を、杉浦氏の鋭い感性と独自のデザイン語法、時代を先駆ける実験的/前衛的なアプローチで形づくられた成果です。その実現には、杉浦氏の高度な要望に応えようと技術の限界に挑戦した、印刷所や製本所の情熱と奮闘も不可欠でした。
むすびにかえて、杉浦氏の言葉を……。デザインの本質とはなにか、デザイナーの役割とはなにか。デザインにかかわるすべてのひとへのメッセージです。そして、このメッセージの〈デザイン〉を〈アーカイブ〉に置き換えるならば、当館「杉浦康平デザインアーカイブ」の在り方そのものに読み替えることができます。
知れば知るほど、驚異の杉浦コスモグラフィア。
より一層魅力あるデジタルアーカイブに生まれ変わった「デザイン・コスモス」。
インタラクティブな宇宙空間にあそび、独創のデザインワールドを、ぜひご堪能ください。
真にクリエイティブな活動に邁進してきた杉浦康平の出版デザインの業績の中で、書籍と並んでもう一つの巨大な山並みを形づくっているのが雑誌の仕事である。雑誌とのかかわりは、ブックデザインとともに半世紀を優に超える。2004年の集成書である『杉浦康平 雑誌デザインの半世紀』(トランスアート)はメインタイトルが“疾風迅雷”と銘打たれた。まさに素早い、激しい取り組みによって、おびただしい仕事が残されてきた。それもただ量が一頭地を抜くということではなく、感性とロジックが深く溶け合った、時代を常に先駆ける清新なメッセージを発している。
その仕事を検証する前に、杉浦が手を染め出した、1950年代後半から60年代前半の出版界の状況を見てみよう。
遍歴期にあった二十代後半の気鋭・杉浦にとってひとつの指標となったのが、直接の師弟関係こそなかったものの、詩人であり、出版デザインでも活躍していた北園克衛の歯に衣を着せない論陣だった。北園は当時の代表的な美術雑誌を引き合いにして、その定見の無さを批判する。
「彼らはすべてを手工芸的に、自らのデザインに対する貧弱なセンスを反省することもなく、イージーゴーイングに作り上げているように見える。これは一種の文化的未分化の状態であり、良きスペシアリストの才能を利用することができないという編集者の前時代的な意識を表わすところのものかもしれない」(『印刷界』1961年7月号「複製をどう評価するか」)。
このように旧態依然とした誌面づくりが大半であった時代に風穴を開けたのが、杉浦をはじめとする新世代だった。「ヴィジュアル・コミュニケーション」という概念の登場のように、商業宣伝分野にとどまらないアプローチの拡張に触発され、出版デザインに未知の可能性を求めて次々と進出していく。そして新鋭たちは、アートディレクター制を導入していた欧米の新しい雑誌デザインの動向から影響を受けつつ、出版界にかつてないコンセプトを送り込み、出版現場の意識の変化を促していくこととなる。
杉浦の初期の代表作に50年代後半の『工芸ニュース』などがあるが、まとまった仕事としては60年代以降の『音楽芸術』や『デザイン』、『新日本文学』になる。
まず『工芸ニュース』では、ドットからなるブロックが配置された秩序ある格子構造にざわざわした〈ノイズ〉が混ぜこまれていることに目がいく。このノイジーなイメージの追究は、書籍のデザインでも繰り広げられて杉浦の主要なデザインボキャブラリーとなる。整合性にのっとるモダニズムを信奉する日本のデザイン界が無視、あるいは排除してきた要素。だが、杉浦にはイタリアの前衛運動、未来派のルイジ・ルッソロにさかのぼるノイズ・ミュージックや、地球及び宇宙空間に満ちているノイズとしての電磁波への一貫した関心が背景にあった。
『音楽芸術』は自己増殖するパターンが主たるコンセプト。あらかじめいくつかのパターンをつくっておき、組み合わせ方を変えたり、回転させたり、色の変化を付けたり……といった多彩な手法を駆使したもの。いずれも正方形の枠組みの中での、幾何学的抽象構成の変移の追究である。驚くのはさらに、現代音楽においてシェーンベルクらが創案した「十二音技法」を出発点として第二次世界大戦後、メシアンが編み出した作曲法(ミュジック・セリエル)がもつ数理的な秩序とか、数字や記号をある規則に従ってまとめる「方陣」の典型である「魔方陣」を援用したものなどが含まれている。杉浦の関心領域の計り知れない深さと、それと響き合う創意工夫に目を奪われる。
『新日本文学』には日本の良質な遺産であり、強い生命力をたたえる紋章、『数学セミナー』では同心円による自己増殖するパターンがバックグラウンドとなり、『デザイン』では、金属活字による活版印刷を衰退させる要因となり、技術の進化が進んでいた写真植字機が内蔵する地紋・やくもの(約物)記号による試み。写植システム特有の歯送り機能によるズレや、印字の大小による変幻により、特異なリズムを引き出している。
このように60年代における抽象幾何学形による、理路をきわめる一連の試みの豊かな響きと息遣いは今なお色褪せていない。
杉浦が南ドイツ、バウハウスの理念を継承するウルム造形大学から招聘されたのは1964年及び66〜67年にかけての2回だった。ウルムでの指導を通じて杉浦が思い知らされたのが、ヨーロッパ合理主義のエッセンスが凝縮されたようなウルムの指導理念の渦中にあったからこその、多面的な〈あいまい〉性を是とするアジア人・日本人としての血脈だった。杉浦は次のステップを準備する。
表紙を内容に寄り添わす新機軸もその一つ。本文ページとは直接の往還を感受できないそれまでのメソッドとは異なり、内容をあぶり出す文字列や図版を有機的にあしらい、雑誌に固有の〈貌(かお)〉をもたせるデザインである。
ドイツでの指導に重なる時代の『SD』においてその〈貌〉をたずさえるデザインがまず本格的なスタートを切った。特集タイトルとその要約、それに主たる内容の解説を、活字ポイントの大小と明朝・ゴシックの併用にメリハリをつけながらリズミカルに配し、カラー写真を抑制されたサイズで収めている。
『都市住宅』では創刊当初に、杉浦と建築家・磯崎新の共同企画による、世界の重要な住宅作品の空間分析が試みられた。杉浦が徹夜作業をいとわず、2枚の立体透視図面に描きおこしたもの。赤・青の2色印刷であり、その2色の立体メガネで見る。建築科出身の杉浦ならではの〈企て〉だった。
こうした図化作業・ダイアグラム表現は、日本地図における〈距離〉という単位を到達〈時間〉に変換した「時間軸変形地図」などへと連綿と引き継がれていくが、わが国のヴィジュアル・コミュニケーション・デザインの新紀元を大きく開く壮挙のひとつとなった。なお、上記した一連のトライアルはすべて身を粉にするハンドワーク。デジタル化の進展によって遥かに作業が容易となった現在とは異なることをしかと念頭に置きたい。
内容を表紙に反映させる手法の、類ない精華となったのが季刊『銀花』であった。印刷所が大日本印刷であることが幸いし、同社の活字書体「秀英体」の凛とした佇まいを生かし切ったタイポグラフィが全面的に展開する。とりわけ東アジア漢字文明圏ではわが国が唯一と言っても良いほどとなった縦組に固有の美しさを、この上ない端整さで着地させている。
杉浦の雑誌の仕事は、表紙のみならず本文レイアウトまでかかわった仕事が少なくない。その先鋭な例が『パイデイア』。注目したいのは仕上がりサイズを用紙の一般的規格サイズではなく、天地が8ポイント75倍、左右が同50倍としていること。ピタリ3:2の判型比率。潔癖なまでの整合性の追究である。そして2段組の場合では1段が8ポイント30倍で、段間は同9倍とゆったり余白を取ってあるのに対して、天と地、小口の余白がかなり少なく同3倍(8.5ミリ)。活字面を四方に散らして新鮮な視覚効果を付与するものであり、スイスを中心として成熟を見た「グリッド・システム」の、わが国独特の縦組文化への創造的対応であり、運用となった。
雑誌を雑誌して息づかせる〈かたち〉をさらに突き詰め、数えきれないほどの新機軸を盛り込んだのが『遊』と『エピステーメー』であった。俊英編集者である松岡正剛と中野幹隆、それに杉浦の並外れたエディターシップが緊密なタグを組んだのだ。
ごく限られた例しか挙げられないが、『遊』創刊号では、極小活字による背への全寄稿者名の掲載と、寄稿文中の重要アイテムの表紙への索引機能の織りこみがある 。『エピステーメー』では杉浦の勧めによる創刊準備号(ゼロ号)の発刊があり、同様企画の先駆けに。また、76年度版における、各号の背を斜めに横断する色相順による配列が鮮烈だった。表紙だけでも格別のエネルギーの投入!
1972年のインド旅行が発端となるインド旅行は、杉浦のアジア固有のコスモロジーへの傾倒をさらに深め、幾多の著作に結実する。『ASIAN CULTURE』や『自然と文化』、『DOLMEN』、『日本の美学』といったアジアや日本が育んだ伝統文化を扱う雑誌の仕事も重みを増していく。その誌面デザインでは、東アジア漢字文化圏が長きにわたって磨き上げてきた罫(ケイ)線を多用してテキストおよび図版を分節する伝統的な組版体裁の反映が見られることにも注目したい。
時代精神と鋭く切り結ぶのが雑誌である。そのためには誌面づくりにも批判精神が必須であろう。上記した他にも『法学セミナー』や『数学セミナー』、『文』などと並走しながらの、1980年代から2000年代初めに及ぶ取り組みである『噂の真相』を最後に挙げたい。それぞれの個性が際立つイラストレーターを表紙に登用し、目まぐるしいほどの「解体と再構築」をたゆまず貫いて、同誌の根幹と刺激的な呼応を果たした。時流と安易に妥協しない活動を貫いてきた杉浦の本領発揮の仕事として圧巻である。
このように杉浦が主導して敷いたレールは、時代の写し絵である雑誌に、的確にビジュアルを寄り添わすエディトリアルデザインの可能性を押し広げ、その重要性への理解を浸透させることで、今日に至る多元的な座標軸となっていることを特記したい。